講師紹介

講師 大山隆之 塾講師歴21年

出生 1976年5月29日 出身 大分県

小学校受験、中学受験、高校受験をし、 大分上野丘高校進学。埼玉大学に進学。

小学校時代は、妹と二人で、ばあちゃんの家に行って、虫取りや、プールへ。

また海に行き、海の中の魚を捕まえようと水中メガネと、手製のモリを持って魚を追いかけっこしていました。
背中だけが日焼けをし、ヒリヒリするまで朝から夕方と時間を忘れ、遊んだ記憶があります。

そして、地域の夏祭りに参加した記憶もあります。その祭りは、神輿や子供用の山車が家路を練り歩いたあと、フィナーレに神輿は神社に戻ります。
境内の中にある舞台で踊り手が夜まで踊って迎えます。その光景は、子供ながらに幻想的に感じました。

私は、人より多く受験しています。幼稚園受験、小学校受験、中学校受験、高校受験、大学受験、・・・と。

だが、本当に自分の意志で受験をしたのは大学受験からでした。

受験回数は多いが、受験勉強を必死にした記憶はありません。

小学校・中学校では、数学より理科の実験、観察などが楽しかった。

理科の実験では、予想していた通りになった時の嬉しさ、また予想に反した結果が出たときの驚きが今でも覚えています。
では、そのことを点数で表すと何点になるのだろうか?そんなことを表すために数字が使われることに疑問視し、
また、とりあえず受験というシステムがあるから、その入試システムの勉強をしなくてはならないといったことを、子供ながら疑問に感じていました。

『そう考えている自分自身が、友達より、おかしいことを考えているのでは?』と子供ながらに思っていたものです。

だから友達にも親にも話をしませんでした。今、考えると、答えてくれそうにも無かったのです。

算数・数学も難しい問題や、定理の証明に挑み、時間が許す限り考え抜き、閃いた瞬間、そして解けたときの達成感は毎回新鮮で実に素晴らしい日々を送っていました。

だから、小学校・中学校でも、算数・数学を解き続けていました。
その当時、私の周りの友達は、高校入試に備え、主要5科目(英・数・国・理・社)をまんべんなく受験勉強していたのです。
そうした中で、私は、数学を堪能していたものだから、友達から「大山、数学だけ出来ても受験には合格しないんだよ!だから他の科目も勉強しないと!」とよく言われていました。
友達だけでなく、母親からもよ~く言われていた。

私の中では算数・数学は学問であり、受験勉強といった狭い世界での数学、また受験で合格するためのツールとして使うことを疑問視していました。
だから、模試などで点数を取ってきても点数に興味が無く、親が嬉しそうに見ているだけで、当の本人は嬉しいとも思いません。
ただ、解けない問題があったときは、悔しかった。
だから、解き続ける。

高校に進学すると、拍車のかかった様に数学の世界へ。毎日出題される数学の課題プリント、教科書の公式・定理の証明をしていました。気が向いたら物理を。
物理では、公式を数学と同じ様に自分で作り、問題を解いていた。だから数字で評価されるテストでは満点だった。

数学は、高校時代に出会ったF先生のおかげもあり、全国模試では自然に100位以内をキープしていました。

でも、相変わらず点数に興味を持つことは無く、常に何か数学で面白い問題がないかと探していました。

そういった日々を過ごしていると、偶然というものがあるのでしょうか?

数学の話をしていたK君、F君に出会います。いや出会うというより数学の話に興味が。
入試のための点数というより、数学という学問を語ることが出来る友達が出来た高校時代でした。

それから、K君は、数少ない私の親友として今でも年賀状が届く仲で、

K君は、京都大学の博士課程を卒業して今では、ある大学の講師をしながら自分の研究をしています。

英語は中学までは好きでしたが、進学先の高校での英語の授業スタイルに、高校生ながらうんざりしていました。
英語科担当のあらゆる先生に質問をしに行くも、皆一様に「英語は丸暗記すればいいんだ」という返答で、高校時代3年間の英語は楽しくありませんでした。
この頃から、閉鎖的な空間を認識するようになった気がします。
しかし、高校3年生の夏、英語専門塾にて恩師のS先生に出会い、英語の楽しさが。
そして、今までに無い形での塾の存在・環境に驚き、共に自分の中の教育についての在り方について、新鮮な風が吹き抜けていきました。

だが大学入試にて、好きな数学からえらい仕打ちを受け、浪人をすることとなり、と同時に失恋もします。その時は、絶望となり、自分の弱さを知ります。
不思議と人・景色などの色が全て灰色に見えた苦い青春時代でした。

浪人後、後期日程にて埼玉大学教育学部 算数数学教育専攻に進学。
だが、教育を真剣に考えているのは少数であり、教員となろう者が試験中に集団カンニングをしていることに驚き、呆れてしまう。
そうしているうちに教育に興味を無くしていき、もともと好きだった数学を大学にて研究することとなる。
その当時、生活費を稼ぐため、塾講師のアルバイトをしていました。
その塾では、塾講師の在り方を学び、何か今までの日本の教育に疑問を持つようになったのです。

収入が安定しない学者の道から、アルバイトをしていた集団塾の塾長から「教室長をやってみないか?」との誘いがあったため、収入の安定した会社、組織に入社。

教室長からブロック長、理系教務主任トップを経て、埼玉県全体、東京都の教育について知る。
また塾の経営を学び、常に目標を達成するための営業でしかなく、合格実績、定期テストの点数UPですら宣伝となることに不自然な感じを受け、
当時の流行りである完全個別授業の塾にキャリアアップ転職するも、生徒一人対しての対価、売り上げであって、一層、塾教育の在り方に疑問を持つ。

そして、2012年 算数数学専門学校 未来スクールを川口市にて設立する。

今年2018年春から、自営で、さいたま市小深作339番地2にて、

教室・自習室・ライブラリーを自分でデザインをし、自宅兼教室を開校。